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2017日本奈良(2)信貴山

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今天開始我們這次的「大和七福神八寶靈場」行程第一站─信貴山。
我們在這裡參拜,抄經,並享用色香味俱,能量飽滿的精進料理。

有名的《信貴山緣起》(日語:信貴山縁起しぎさんえんぎ sigisan engi)。

又名《信貴山縁起絵巻》,是日本平安時代的畫作,於2006年被指定為日本國寶,和《伴大納言繪詞》、《源氏物語繪卷》及《鳥獸人物戲畫》合稱為日本的四大繪卷。該畫目前藏於奈良縣生駒郡平群町朝護孫子寺

整部畫作講的是高僧命蓮在
信貴山中修行的故事。共分山崎長者卷、延喜加持卷、尼公卷3卷,原作者不詳。該作將人物的表情畫得惟妙惟肖,和《鳥獸人物戲畫》一同被認為是日本漫畫文化的起源。

山崎長者卷
信濃國法師「命蓮」有通神之力,在信貴山中修行。在山上建造毘沙門天祭祀堂。命蓮下山傳道之時,用法力控制一個會飛的托缽,向一位富庶人家的長者化緣。有一天,當托缽像往常一樣飛來化緣時,富人說:「好有意思的托缽啊!」於是偷偷將托缽放在了糧倉的角落裡,隨後鎖上了糧倉的大門。富人將一袋米放在了托缽上後,所有的米袋像鳥群一樣又飛了起來,回到了富人的住處。

延喜加持卷
法師傳道途中得知醍醐天皇病重,便暗自為他祈福。有人向天皇諫言:「聽聞有一命蓮法師通曉法術,會用法力讓托缽飛起。其隱居在山中,不如派人召見,說不定能治癒天皇您的病。」使者找到了命蓮,向他表明了來由。於是命蓮便親自做法,為天皇祈福。使者又問:「如果天皇的病好了,但是又如何得知是因為法師您的祈福才治好的呢?」命蓮回答道:「天皇病癒之時,會有提著劍的護法童子在空中飛過。」
三天後,天皇在夢中隱約看到有閃光,並見到有法師所說的提著劍的護法童子。天皇醒來後,病就好了,不由大喜。於是便派人前往信貴山酬謝。使者見到命蓮,說:「天皇想賜予您僧都、僧正之位,還將奉送莊園。」命蓮法師說:「僧都、僧正之位於我無用,莊園還要派人看管,還是罷了吧。」便將這些賞賜都推辭了。

尼公卷
在信濃國,命蓮法師有一個姐姐,知道弟弟命蓮前往東大寺修行,之後便再沒有回來。於是便前往奈良東大寺,向在東大寺的僧人打聽消息,才發現20年前的發生的事,早已沒有幾個人知道。尼公連弟弟現在長什麼樣子都不知道,便在東大寺的大佛前祈禱了一夜,無論如何也要找到弟弟的下落。後來尼公在夢中,聽見有人對她說「未申(南西)方有一座紫色的雲彩環繞的山,去那裡看看吧。」醒來後向西南方前行,果然看見一座山,上面紫氣環繞。便是信貴山。上了山,尼公看見了一座佛堂,心中想到「命蓮大概就在裡面吧。」
這時命蓮法師從裡面探出頭來,看見了姐姐,說道:「姐姐你怎麼找到這裡來了?」這時尼公將準備的衲衣拿出來,交予了命蓮。心想至今仍舊只有單衣一件,命蓮便高興地穿上了。姐姐尼公也決定不回信濃國,再次陪著弟弟命蓮修行。


朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)の信貴山にある信貴山真言宗総本山の寺である。本尊は毘沙門天(多聞天とも称する)。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られる。毎年初詣時期には多くの参拝客でにぎわう。

朝護孫子寺は、大和国(奈良県)と河内国(大阪府)の境にそびえる生駒山地の南端に近い、奈良県側の信貴山の山腹に位置する。創建の時期や経緯については判然としない。

寺に伝わる国宝『信貴山縁起絵巻』は、平安時代後期、12世紀の成立とされ、日本の絵巻物の代表作とされている。この絵巻は通常の社寺縁起絵とは異なって、朝護孫子寺の創建の経緯等については何も述べておらず、信貴山で修行していた命蓮(みょうれん)という聖(ひじり)の奇跡譚が中心主題となっている。絵巻の中巻では延喜の帝(醍醐天皇)の病を命蓮が法力で治したという話が語られている。『信貴山縁起絵巻』の詞書とほぼ同様の説話が『宇治拾遺物語』にあり、『今昔物語』にも信貴山寺の草創に関する説話が収録されている。(聖の名は『宇治拾遺物語』には「もうれん」、『今昔物語』には「明練」とある。)

平安時代末期に成立した歴史書『扶桑略記』の延長8年(930年)8月19日条には、「河内国志貴山寺住」の「沙弥命蓮」が醍醐天皇の病気平癒のため祈祷を行ったことが見える。なお、当時醍醐天皇の病気は相当進んでいたようで、1か月後の9月29日に死去しており、この点は説話と異なっている。なお、信貴山は大和国(奈良県)と河内国(大阪府)の境に位置し、朝護孫子寺の住所は奈良県であるが、『宇治拾遺物語』『扶桑略記』には「河内の信貴(志貴)」と表現されている。

以上のことから、醍醐天皇の時代、平安時代中期の10世紀頃には信貴山に毘沙門天を祀る庵があり、修行僧が住んでいたことは首肯される。当寺の創建について、聖徳太子を開基とする伝承もあるが、これは太子が物部守屋討伐の戦勝祈願をした際に、自ら四天王の像を刻んだという伝承に因んだ後世の付託と思われる。伝承では、寅の年、寅の日、寅の刻に四天王の一である毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、その加護によって物部氏に勝利したことから、594年推古2年)に毘沙門天を祀る寺院を創建し、「ずべきぶべき信貴山)」と名付けたとする。また寺の至る所に虎の張り子が置かれているのは、その逸話に由来している。その後、902年延喜2年)に醍醐天皇が、「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺としたことから、「朝護孫子寺」の勅号を賜った。

戦国時代には木沢長政が信貴山頂に信貴山城を築いた。1577年天正5年)に同城の城主・松永久秀織田信長の間で信貴山攻防戦が行われて久秀は滅亡し、寺も焼失するが、豊臣秀頼によって再建された。現在、山頂には同寺の「空鉢堂」があり、本堂付近から参道で連絡している。

參考資料:
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E4%BF%A1%E8%B4%B5%E5%B1%B1%E7%BC%98%E8%B5%B7
http://www.sigisan.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E8%AD%B7%E5%AD%AB%E5%AD%90%E5%AF%BA
https://www.youtube.com/watch?v=YPUHYpLp5Jc&list=PLyi9OixL_zDbb597_BoatBGYbIDUWWkCx










































抄經

奈良JR車站

享用晚餐(素食)


























 

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