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2012日本京都(4-4)下鴨神社

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接著,我們來到下鴨神社。
  賀茂御祖神社位於京都市左京區,通稱下鴨神社。為二十二社之一、式內社名神大社)、山城國一宮、舊社格官幣大社(現神社本廳別表神社)。
主祭神為
玉依姬命與賀茂建角身命。例祭日為5月15日(賀茂祭、葵祭)。

賀茂御祖神社是聯合國科教文組織(UNESCO) 所登記的世界文化遺產之一,是遺產項目古都京都的文化財的其中一部份。

神話・伝承

【賀茂建角身命・八咫烏傳承】『古事記』是(ここ)に亦、高木大神の命以ちて覚(さと)し白(まを)しけらく、「天つ神の御子を此れより奥つ方に莫(な)入り幸(い)でまさしめそ。荒ぶる神甚多(いとさは)なり。今、天(あま)より八咫烏(やたからす)を遺(つか)はさむ。故、其の八咫烏引道(みちひ)きてむ。其の立たむ後(あと)より幸行(い)でますべし。」とまをしたまひき。『日本書紀』既(すで)にして皇師(みいくさ)、中州(うちつくに)に趣かむとす。而るを山の中嶮絶(さが)しくして、復行(またい)くべき路無し。乃ち棲遑(しじま)ひて其の跋(ふ)み渉(ゆ)かむ所を知らず。時に夢みらく、天照大神(あまてらすおほみかみ)、天皇に訓(をし)へまつりて日(のたま)はく、「あれ今頭八咫烏を遺す。以て郷導者(くにのみちびき)としたまへ」とのたまふ。果して頭八咫烏有りて、空より翔(と)び降(くだ)る。天皇の日はく、「此の烏の来ること、自づからに祥(よ)き夢に叶へり。大きなるかな、赫(さかり)なるかな。我が皇祖天照大神、以て基業(あまつひつぎ)を助け成さむと欲せるか」とのたまふ。伴信友『瀬見小河』一之巻高木大神と申は、高御産巣日神の又の御名なり、八咫烏すなはち建角身命なり、(略)、書紀に天照大神、古事記に高木神(高御産日神の又の御名)とあるは、互に一方を語り伝へたるものにして、まことは天照大御神、高御産巣日神の御慮もて、神産巣日神の孫(みひこ)の建角身命を、豫て天降し置て、(高御産巣日神と神産巣日神とは、相偶(あひたぐひ)ませるがごとく、いとも奇(くす)しき御間(みなか)に坐ますにおもひ合せ奉るべし、かくて此二神の、建角身命の御祖に系りて、きこえ給へる氏々あり、因に下に拳ぐるをみて、それをもおもひ合せ奉るべし)供奉(つかへまつて)せ給へる由を、天皇の御夢に告覚(つけさと)し給へりしなり。
『尋常小学読本』巻五(二年生用)日本ノ一バンハジメノ天皇ヲ神武天皇ト申シ上ゲマス。コノ天皇ガワルモノドモヲ御セイバツニナツタ時、オトホリスヂノミチガケハシクテ、オコマリノコトガゴザイマシタ。ソノ時ヤタガラストイフ烏ガ出テ来テ、オサキニ立ツテ、ヨイミチノ方ヘ御アンナイ申シ上ゲマシタ。又アル時ドコカラトモナク一羽ノ金色ノトビガトンデ来テ、オ弓ノサキニトマリマシタ。ソノ光ガキラキラトシテ、ワルモノドモハ目ヲアケテイルコトガデキマセン。ソノ光ニオソレテ、皆ニゲテ行キマシタ。天皇ハ國ノ中ノワルドモヲノコラズオタヒラゲニナツテ、天皇ノオクライニオツキニナリマシタ。ソノ日ハ二月十一日ニアタリマスカラ、コノ日ヲキゲンセツト申シテ、毎年オイハヒヲイタスノデゴザイマス。
【玉依媛命・丹塗の矢伝承】『続日本紀』風土記逸文山城國賀茂社山城の國の風土記に曰はく、可茂の社。可茂と稱ふは、日向の曾の峯に天降りましし神、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、神倭石余比古(かむやまといはれひこ)の御前に立ちまして、山代河の随(まにま)に下りまして、葛野河と賀茂河との合ふ所に至りまし、賀茂川を見迎(みはる)かして、言(の)りたまひしく、「狭小くあれども、石川の清川なり」とのりたまひき。仍りて、名づけて石川の瀬見の小川と曰ふ。彼の川より上りまして、久我の國の北の山基(やまもと)に定(しづ)まりましき。爾(そ)の時より、名づけて賀茂と曰ふ。賀茂建角身命、丹波の國の神野の神伊可古夜日女にみ娶(あ)ひて生みませるみ子、名を玉依日子と曰ひ、次を玉依日賣と曰ふ。玉依日賣、石川の瀬見の小川に川遊びせし時、丹塗矢、川上より流れ下りき。乃(すなは)ち取りて、床の邊に插し置き、遂に孕みて男子を生みき。人と成る時に至りて、外祖父(おほぢ)、建角身命、八尋屋を造り、八戸(やと)の扉を堅(た)て、八腹の酒を醸(か)みて、神集へ集へて、七日七夜楽遊したまひて、然して子と語らひて言(の)りたまひしく、「汝の父と思はむ人に此の酒を飲ましめよ」とのりたまへば、やがて酒杯(さかずき)を挙(ささ)げて、天(さき)に向きて祭らむと為(おも)ひ、屋の甍を分け穿(うが)ちて天に升(のぼ)りき。乃ち、外祖父のみ名に因りて、可茂別雷命(かもわけいかつちのみこと)と號(なづ)く。謂はゆる丹塗矢は、乙訓の郡の社に坐せる火雷神(ほのいかつちのかみ)なり。可茂建角身命、丹波の伊可古夜日賣、玉依日賣、三柱の神は、蓼倉の里の三井の社に坐す。
伴信友『瀬見小河』二之巻丹塗神矢の事丹塗矢云々、逐感孕生男子とある丹塗矢は、大仙咋神の玉依日賣に婚(アヒ)給はむ料(タメ)に、神霊を憑給へる物實なり、其は古事記に大仙咋神、亦名山末之大主神、此神者坐近淡海之日枝山、亦坐葛野之松尾用鳴鏑神者也、(用字は桁字としてよむべからず、其説は下に云ふべし)と見えて、此鳴鏑神者とは、かの云々の時の鳴鏑の神矢なり、其を大仙咋神の霊形として松尾に祀れる由を、因にここに挙げたるなり、(但し玉依日賣に婚給へる事を語はで、ただ鳴鏑神者也とあるは、うちつけなるここちす、もしくは阿禮か遺れて誦み脱せる事のありしにてやあらむ、)

正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」とよびます。京都は鴨川を中心に町づくりがなされており、鴨川の下流にまつられているお社というところから「下鴨(しもがも)さん」とか「下鴨神社(しもがも)」と親しくよばれています。東西の二殿の本殿はともに国宝です。
【ご祭神】
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) 西殿
玉依媛命 (たまよりひめのみこと) 東殿
賀茂建角身命は、古代の京都をひらかれた神さまです。山城の国一宮として京都の守護神としてまつられています。平安京が造営されるにあたって、まず当神社に成功のご祈願が行われました。以来、国民の平安をご祈願する神社と定められました。
山城国『風土記』などに、玉依媛命が鴨川で禊(みそぎ─身を清める儀式)をされているときに、上流より流れ来た丹塗の矢を拾われて床におかれたところ、矢は美しい男神になられ、結婚された。そしてお子をお生みになったとの神話が伝えられていますので、古くから縁結、子育ての神さまとして信仰されています。当神社は、国家国民の安穏と世界平和をご祈願する守護神であるとともに、厄除、縁結、安産、子育、交通安全など人々の暮らしを守る神さまです。【ご神徳】賀茂建角身命は、農耕をひろめ民生の安定につとめられたことによって世界平和、五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除。また、『古事記』『日本書紀』には、賀茂建角身命を金鵄八咫烏(きんしやたからす)として表わされた御功績が伝えられているとおり、導びきの神として方除、厄除け、入学、就職の試験などの合格、交通、旅行、操業の安全等多方面に御神徳を顕わしておられる。
御子神、玉依媛命は、『風土記』に御神威が伝えられている。婦道の守護神として縁結び、安産、育児等。また、水を司られる神として著しい御神徳を発揚せられている。
歴史
当神社がまつられたのは、崇神天皇の七年(BC九十)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録があり、それ以前の古い時代からまつられていたとおもわれます。先年糺の森周辺の発掘調査で弥生時代の住居跡や土器がたくさん発掘され、それを裏付けています。また社伝や歴史書に、お祭、社殿、ご神宝等の奉納などが記録されています。『続日本紀』の文武天皇二年(六九八)には、葵祭に見物人がたくさん集まるので警備するように、という命令が出された、という記事があります。このことから、奈良時代より前から当神社が大きなお社で、盛大なお祭がおこなわれていたことがわかります。 平安時代には、国と首都京都の守り神として、また皇室の氏神さまとして、特別の信仰を受け、別項に記します式年遷宮や斎王の制度などがさだめられていた特別な神社であったことがしられます。そして『源氏物語』や『枕草子』など王朝文学にしばしば登場いたしますように、この時代の文化、宗教の中心地の一つとして栄えました。 平安時代末期になりますと全国に六十余箇所もの荘園、御廚が寄進され神社をささえました。 鎌倉時代、室町時代、そして戦乱の世になっていくにつれ、各地の荘園も連絡が次第に絶えて行きますが、代わって国民の信仰が神社をささえていくようになりました。神殿守(殿司)とよばれる人々が全国をまわってご神徳を説いていくのもこのころです。当神社を舞台とする、数多くの能(謡曲)などに、そのころの様子がうかがわれます。また国の重要な出来事には、かならずご祈願が行われました。 江戸時代にも、国と国民の幸福を祈願する神社として、神社の運営のため幕府より領地が寄せられました。 明治初年、全国の神社の代表として、官幣大社の首位におかれ、今日まで国と国民のための祈願を日々おこなっています。【創祀】創祀の年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇二年(BC六五八)二月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる。 この氏族は、賀茂建角身命の先の代、天神玉命を祖神とする鴨氏と同じ氏族であったことで知られている。 また、『賀茂神宮賀茂氏系図』には、賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より十一代後の大伊乃伎命の孫、大二目命が鴨建角身命社を奉斎していたことが記されている。その社が、今日の賀茂御祖神社の始源の社の一社であろうとされている。 崇神天皇七年(BC九〇)には、社の瑞垣が造営(『鴨社造営記』)され、垂仁天皇二十七年(BC二)八月には、御神宝が奉まつられている。(『同書』)また、緩靖天皇(BC五八〇)の御世より御生神事が行われた(『旧記』)との伝承があり、欽明天皇五年(五四四)四月から賀茂祭(葵祭)(『本朝月令』『年中行事抄』)が行われていることからみて、創祀は西暦紀元をはるかに遡るものとみられている。

http://www.shimogamo-jinja.or.jp/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%BE%A1%E7%A5%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE


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